いま、福島には他県から多くの復興支援の
お客様がいらっしゃっています。
当館の女将に「震災の時の話を」と
ご依頼いただくことが多いのですが、
その時一番聞かれるのが、
「震災その時どこで何をしていましたか?」
「これからどうしていくのですか?」
という二つのポイントでした。
そこで、より多くの方に福島の現状を知っていただきたく、
コメントを集めました!!





アグレッシブとはいえないかも知れませんが、人生まじめに地道に積み上げていくタイプだと自分では思っています。
子供の頃はいわゆる「鉄道少年」でした。今でも鉄道に関する話題には興味があります。
四十にして始めたゴルフはいまだ100を切れない程度ですが、そこそこ楽しんでおります。
その時実は、県の旅館組合の会議があり磐梯熱海のホテル華の湯さんにおりました。
すぐに帰路の途に着いたのですが全く電話もメールも繋がらず、家族の事、社員の事、旅館のことが心配でなりませんでした。
高速も閉鎖されていたので、渋滞を避け岳~土湯経由のルートで3時間余りかけて戻ってきました。
旅館に戻りみなの無事な姿を見、お客様も安全な場所に誘導することができた事を聞き、やっと安心することができました。
一刻も早くこの災難から立ち直り、元のようにお客様も安心してお泊り頂き、又、社員の皆の生活も元に戻れる様、全力を上げて頑張っていきたいと思います。
吉川屋の七代目です。現在後継者として修行中!
子供の頃から漫画を描いていたので、漫画を描くのが得意です。
日本酒が好き。全国杜氏めぐりをするのが夢。
最近は三味線をならいはじめました。
3.11.その瞬間。私は事務所にいました。今まで聞いたこともない不吉な音が携帯から流れ、なんだろうと首をかしげる間もなく大きな揺れを旅館全体を襲いました。体感したこともない地震、震度6強。
目の前の渓谷が2カ所崖崩れを起こし、旅館のエキスパンション(建物の継目)は揺らされ破壊され、宴会場の天井から水漏れし水浸しになり、11階の建物から落ちた瓦は調理場の天井を突抜けました。
一旦事務所から駐車場に避難したものの、すぐに「お客様が館内にいる!!」と気付き、まだ巨大な余震が続き土煙のあがる館内に戻りました。
館内では日頃の避難訓練の賜物か、スタッフがお客様の避難誘導をはじめていました。「旅館がつぶれるか!?」と思わせるくらい大きな余震が続き、スタッフたちも恐怖に堪えながら、その当時宿泊されていた100余人のお客様を全員駐車場へ避難させました。
お客様はみんなマイクロバスに乗ってもらい、その時3月でしたが雪が降るほどの寒さだったので、足袋とバスタオル、ホッカイロを用意しお客様に寒さをしのいでいただきました。
電気・ガス・水道などのライフラインはすべて絶たれてしまったので状況も分からないまま、スタッフたちは献身的にお客様の身の安全を確保いたしました。
私も、震災後20分後にツイッターで「吉川屋、お客様の避難完了しました!」とつぶやいて以降、ネットには接続できなくなりました。あの時は、どうなるか分からない状況の中で、とにかくお客様のご親族が安否を気にされるのではないかと思い、それしか思い浮かびませんでした。もちろんその後、ケータイも電話もかなり長い期間つながらなくなりました。
ワンセグのケータイと車のカーナビを通して、少しずつ何が起こっているかが分かってきましたが、そこに映し出された光景は、この世のものとは思えない光景で、現実感を感じられませんでした。
とにかく、お客様にいかに安全に過ごしていただくかだけを考えました。
余震も続くけど、一夜を過ごしていただくために宴会場とロビーに集まっていただきました。幸い非常用電源が約1日間持ったので、ロビー回りの灯りは確保できました。館内の懐中電灯と電池をかきあつめました。
ガスも使えない状況でしたが、夕食は料理人たちが、簡易燃料を使って温かい釜飯をお客様に提供しました。
みんな、不安な中夜を過ごしました。ラジオから流れる情報は、この世のものとは思えませんでしたが、とにかく自分たちが今日夜を過ごせることだけを考えました。
翌朝、新幹線も高速道路も止まっていたので、お客様にもう一泊泊まっていただくよう考えましたが、安全を考えて、バスを手配し東京まで送りました。今思えば、その選択は正しかったと思います。
すぐに緊急幹部会議を開き、館内の被害の現状の確認、燃料と食糧の確保、スタッフたちをどうするかを話し合いました。電気とガスは翌日には復旧しましたが、水道は10日間も断水しました。
何より困ったのが、ガソリンの確保。太平洋沿いの石油精製プラントが津波で壊滅してしまったので、長い間東北にはガソリンが入ってきませんでした。ガソリンスタンドに並ぶ長蛇の車の列。中には2時間ならんで10リッターしか入らないのは当たり前でした。開いていないスタンドの前に長蛇の列が並ぶ現象も見られました。スタッフたちが会社に通うことが困難になったので、会社の軽油をつかった一番燃費効率のいいワゴンで、最低限必要なスタッフだけを送迎しました。接客のスタッフたちは、会社再開の見通しがたつまで一時自宅で待機してもらいました。
会社では少ない食糧を、みんなで炊き出しして食べていました。みんなで一緒に食べたご飯は、いつも食べてるより全然足らなかったけど、いつもより美味しく感じました。会社の電話は通じたので、3月にご宿泊のお客様にこちらからキャンセルの電話をしていました。
震災だけでなく、原発事故もあり今後どうしていくかは決断が必要でしたが畠社長は(1)吉川屋の170周年の火は消さない(2)雇用は守るの考えのもとに、4月1日営業再開に向けて動き出しました。
集まることのできるお取り引きの業者の方に集まっていただきました。津波で工場ごと流されてしまったところもありました。みんなで協力しあいながら生き残っていくことを誓い合い、食材と燃料の確保の見込ができたとし、4月1日から営業再開し、HPにて情報を発信しはじめました。
わたしが福島県外の色んな方にお会いすると「福島の情報がはいってこない」「大変な状況をみなさん過ごされているのに、私たちが旅行に行っていいものか」という声をよく聞きますので、この「福島の声を聞こう」を立ち上げる必要性を感じ、企画いたしました。
4月の営業再開の際に、「本当にお客様が来るのか?」と誰しも不安になりましたが、200名の避難者と、300名の復興支援の方がいらっしゃり、旅館もみなさんの力になるべくお食事と快適な場所の提供に努めました。
震災から半年が過ぎ、旅館は通常営業に戻っております。
いまだに「福島の旅館って営業しているんですか?」と聞かれたりすると本当に福島の情報というのは、全然伝わっていないのだなぁと感じます。
放射線についてですが、わたしは震災以降日々ネットとにらめっこし、可能な限り情報を集めてまいりました。そこで思いますのは、「反原発派」と「原発推進派」がそれぞれ極端な情報を出し合ってるので、「何が正しいか分からない」というのが素直な感想です。放射線についても、歴史上あらゆる科学者が研究し続けていますが、「結局のところよく分からない」からこそ、「分からない」が「不安」を生み出していると感じます。あまりに専門的すぎて、素人の私たちには理解するのは容易ではありません。
でも「不安」は「正しく怖がる」ことで、払拭されます。
テレビや新聞、また週刊誌などの報道は、ひとつの事実について、あえて不安を煽る表現をしているように見受けられます。わたしが調べた範囲での過去の事例において、いまの福島というのは生活するのに問題はないと理解しています。
福島県の試算によると、この原発による「風評被害」のネガティブキャンペーンの効果は2兆円とも言われています。一度広がってしまった風評被害は、簡単に払拭できないことも知っています。
でも現に私たちはスタッフともどもみんな元気に生活し、福島のことを心配してくれる多くのお客様が来館され、たくさんの楽しい思い出を作られてお帰りいただく、震災前の旅館が少しずつ戻りつつあります。
わたくしどもの旅館を気に入ってきてくださるリピーターの方、福島を応援に来てくださる方、リフレッシュしたい地元や県外の旅行者の方、みなさまに高品質のサービスと美味しい料理と絶景のお風呂を提供する、それを社長女将を陣頭に、スタッフ全員で福島で一番の旅館を目指して続けていきたいと思っています。
福島は、今回の震災を乗り越えてさらに良い福島になる、そんな熱い心を持った人がたくさん生まれてきています。時間がかかるかもしれませんが、どんな未来が来るか、ワクワクしませんか?
わたしもそんな一人でありたいと思っています。
元気なわたしたちの姿を見に、ぜひ福島の地へ訪れてください。スタッフ一同お待ち申し上げております!!
自分のことを分析するなんてコマッタわー。
一言で云うと世話好き。主人からママといると楽しいなあ(ホント?)ママと一緒になれて良かったなあ(それは私が亡くなった時に云ってよね~)
何でも楽しくするほうかしら、自分でもプラス人間だと思います。
震災前はほぼ毎日女将らしく着物を着て玄関でのお出迎え、ごあいさつ、朝は洋服でお見送り、おいで頂いたお客様と会話できる、近しくなれるのが嬉しくて楽しくて、1日の1/3の時間を対お客様に費やしてきました。
社員が頑張ってくれる姿を見るのも楽しい。
私も元気をあげてると思うけどお客様からも元気をいただく仕事に生きがいを感じ35年。ところが10ヶ月前の大地震で世の中が一変してしまい、今なお風評被害。きっとこれからも福島県は県民がつらい思いをしていくことでしょう。今まで当たり前のように動いていた当たり前の生活が当たり前でなくなったことで、私も以前のような1日の1/3を対お客様に接する時間が減りましたが、震災に関する撮影、取材、講演が増えました。
14:46、私は正面玄関でお出迎え体制をとっていました。
滞在のお客様が120名ほどおりましたが社員が迅速に動き、全てのお客様を無事避難させることができたことに、年6回も防災訓練をやっているからだと、又その後の対応、お客様に対してもやさしく接し元気に喜んで帰って頂いたことに社員の立派さに感謝しております。
この大震災はみんなが絶対に忘れてはならないこと、後々まで受けついで伝えていかなければならないことです。私はおいで頂いたお客様や頼まれた方々に地震のときどう動いたか、どう対応したか、避難の人たちを受け入れどう過ごしてもらったかの経験をお話していきたいと思っています。
「ふくしまの声を聞こう」このコンテンツは吉川屋七代目が福島の色んな方を取材して、育てていきたいと思っています!!
震災は、そこから何かを学び、次なる悲劇を少しでも軽微にすることが必要だと私は思います。ぜひ、私たちの「生の声」をお聞きください。
かむろみの郷 吉川屋 七代目 畠正樹
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